【地域史】新編相模國風土記稿「長吏首長”政右衛門”」直轄支配…高座郡本郷村字根村の曲輪へ ★2006/1/12(木)12:30 2016/01/12
2006年1月訪問までに得た史料と本日取得したデータ(ストリートビュー) による検証
新編相模國風土記稿~高座郡本郷村
長吏政右衛門 當所に住する長吏十二軒あり、の首長なり、家蔵の古文書二通あり、一は板皮以下の公物幸田へ持来り納むべし云々、戌六月十二日虎の朱印を押し、皮作五郎右衛門を始宛所三名を記す、一は永禄十三年鈴木加賀守頼重の文書にて官途の事を載す、但長吏に預かりし物にあらず
相模風土記では首長政右衛門として登場する長吏。
『鈴木家文書』には仁平治とある
この地区は今も秘境と思われる。
2005、2006年当時、みんな「どこにあるかわからない」と躍起になって探していた。
曲輪の南の入口。
白山社跡地参道にあった獨誦搭(海老名市本郷根村4694-3)
ストリートビューを確認したところ、撤去されてなくなっているのか、林に隠れてしまったか…
①勧請安永二癸巳年二月(1773)
②讀誦塔:安永五年二月吉日(1776) 本造立庚申惣供養
③道祖神:奉供養石 享保
オレの訪問した時は参道は林になっており、中には入れなかった。
ストリートビューを見たら、今は道が舗装され、中に入れるようだ。
元白山神社の敷地は囲われ、路面が舗装され、神木が伐採され、「稲荷宮」と名を変えて、立ち入りが許されていることがわかった。
太鼓屋さんは、曲輪の西の入口(下河内と根村の境界)の下永池橋の袂にある。
オレは地区確定の罠と思う。
というのは、曲輪の中に新築1戸、曲輪の北端に並んで旧家2戸あるが、近くの倉見には土着佐藤家の家々があるからだ。
以下画像の永池川氾濫のときの功績を讃えた碑の光義氏の直系らしき家が北端にある。
曲輪の共同墓地から佐藤家の墓までの距離
地番は隣接しているが、写真の通り少し離れている。
共同墓地に佐藤家墓は1基もない。
廣崎(廣嵜)家(柏紋-丸に三つ柏/菱紋-丸に三階菱/桐紋-丸に五三の桐)
土着は根村・廣嵜・清水・南橋(1戸)・高橋(1戸)・中川(2戸)
土着は根村、廣崎、清水と思っていたが、南橋、高橋、中川、みんな江戸時代の墓を抱えている。
ここの曲輪の土着姓もあまり他で見かけないが
吉浜岩村字藪(千歳ヶ岡)にある吉浜稲荷神社の燈籠奉納に名前が刻まれている。
浅草新町の石垣姓の横だ。