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【日本橋】祐徳の起点(連日の日本橋訪問・淡路町の克服などを思い浮かべ) 2016/11/23

淡路町。
未明、日本橋からこのエリアまで歩いた(実際には自宅まで歩いた)。
日本橋にオフィスを出してから数か月間及び現在までの人生の道のりを、あれこれ思い浮かべていた。
この道をしばし散歩した当時、「負のエネルギー」を抱いていた。
思い浮かんだことは、当時の「負のエネルギー」ではなく、当該「負のエネルギー」を打破したプロセス(散歩しなくなってから日本橋オフィスを去るまでの時期)及び今である。
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「手段は選ばず、とにかく自分の顔を広め、人と出会うきっかけをつくり、顧客獲得を目指す手法」
この方法が大失敗であったことに気づいた2014年夏、松本祐徳に改名した。
同時に、実務に関連のある有益なセミナーなどを除き、交流会・政治活動などへの「参加」をやめた。
「怒り」「憎悪」が爆発していた時期である。
開業初年度の前半(2013年)、主に政治とのつながりやFB効果による顧客獲得が順調に行き過ぎたので、こうした経験が自分の認識の甘さを引き起こしたものと総括している。
2013年前半の順調な滑り出し後、交流会・FBFとの接点が広がっていった。
その結果、無駄な経費と、経費以上の無駄なアイドリング期間(2013年秋~2015年1月まで1年3か月)を招いた。
事務所維持費、営業経費、生活費、全て吐き出した。
具体的な実害を書き綴ることは避けるが、2014年夏までに、全てが八方塞がりになり、自分自身が追い詰められていった。
改名前までの期間、日本橋オフィスからの帰宅時に、気分転換を兼ねて、よく歩いた道。
それが
①日本橋から日銀方面、神田司町を経由し、淡路町へ抜けるルート
②日本橋から国道17号を北上し、須田町から淡路町へ抜けるルート
上記の画像は未明撮影した須田町方面から撮影した淡路町駅界隈。
徒歩で帰宅する最短ルートが上記②であった。
ただし、日本橋本町→今川橋→神田警察署通り周辺の写真は撮影しなかった。
冒頭で述べたように【思い浮かんだことは、当時の「負のエネルギー」ではなく、当該「負のエネルギー」を打破したプロセス(散歩しなくなってから日本橋オフィスを去るまでの時期)及び今】のことだから。
「今後も用事があればフツーに訪れるであろう都内の一地域」
何の感慨もないことに、むしろ寂しさを覚えた。
なお、この地域は、最後に交際した女性の「結界エリア」。
2014年当時、なぜ①、②のコースから帰宅したか?
〇異業種交流会エンコレに参加していた(開場が偶然、今川橋周辺であった)
〇自宅方面への他のルートである夜の皇居・竹橋(首都高のルーフ付き)の侘しい道を歩く気にはならず、上記①、②のコースを選ばざるを得なかった。
改名後、HPを立ち上げ、法令解釈に専念していたので、日本橋オフィスを退社する時刻はいつも22:30~終電。
呑気に散歩をしていられるほど、気持ちにもゆとりはなかった。
2015年春になると、私自身の仕事の実績や、日本橋の女性陣との関係が、当時交際した女性との怨念や交流会等の失敗を全て洗い流してしまった。
”私以外私じゃないの♪”
https://www.youtube.com/watch?v=A-ASamY9uRk

2015年、仕事で上昇気流に乗り出した頃、頻繁に放映されていたCMである。
この曲を聴くと、「日本橋の女性陣」(3名)のうち1名を思い出してしまう。

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ブログ内で私がお別れを告げた。
もう当blogには訪れていないのかもしれない。
俺は未練がある・・・
社会保険労務士松本祐徳の原点は、日本橋にある。
日本国道路元標。
日本橋は、五街道の起点であり、日本の文化の起点である。
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画像は、中央通り日本橋の橋の真ん中の刻印であり、沿道に置かれたレプリカではない
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そして、2年半後の目標を達するため、赤坂を去った。
日本橋のレガシーを大切にして。
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