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【日常】母の命日(2002/7/27)と京子との憧れとお別れエピソード…学生回帰への思い 2021/07/27

母の命日(他界から19年)と京子とのお別れエピソード


青山学院大学4年生 松本
大妻女子大学3年生 京子
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1993年夏 駿台予備学校池袋校高校課のアルバイトで2人は出会った。


まだ、何も社会人経験もないとき、これから将来を作って行こうとする時期に巡り会った2人。


1998年秋、京子から結婚を持ち出された。
オレは、仕事に目覚め、他の追随を許さない、圧倒的な飛躍を実現している頃だった。
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とてもじゃないが、この大切な時期に「守りの人生」なんて選べない。
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彼女からのお願いで、2人は冷却期間を置くことになった。


翌年3月のオレの誕生日、一通の手紙と、一本の電話が入った。
どちらも京子だった。


京子は、冷却期間終了を期待していたようだが、オレは「元サヤに戻ろう」と言い出さなかった。


彼女は電話越しに泣いていた。


その後、半年から1年に一度、電話したり、池袋駅ホームで偶然会ったり、、、


うちの母が他界した2002/7/27、京子に電話した。
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交際中、双方の親同士、とても親しくしていた。


京子は「お葬式にはどうしても行けない」
このとき、恋人の存在を予見した。
代わりに、京子のお母さんがお葬式にやってきた。
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京子との最後のお別れは、1999年1月第2週の日曜日のショートメール


「昨日、結婚式を挙げました。お身体にご自愛下さい。松本さんの御多幸をお祈りしています」


それから、時を待たずに、携帯は解約されていた。


京子から、冷却期間を持ち出されたときに「松本さんと一緒にいるとスリルがあって、他の人がやれないことを何かやってくれそうでドキドキした」


それが、彼女がオレとの交際に踏み切った理由だったそうだ。


期待以上に、ドキドキしたそうだ。


学生から20代前半に恋人と純愛する人って、相手の長所を”憧れ”と感じて、自分のものにしようとしてくれる。そこには、変わらない、交際相手へのリスペクトがある。


20代後半にもなって恋人のいない人の多くは、自分の足元もみないで、交際相手に「学歴」「収入」「みてくれ」など、ブランドを求める奴ばかり。
それと、相手の長所を”憧れ”とはとらえない。
「嫉妬心」「対抗心」を燃やして、交際相手に競争を仕掛けてくる。


たまたまかも知れないが、オレの人生で巡り会った女性は、そんな人ばかりでした。


オレは、晴れて学生に戻れたら、もう一度、「憧れ」という相手の期待に乗っかってみたい。


対抗心、競争心、嫉妬心、ネグレクト。


仕事の実力とは関係のないところで、自分の足元も見ない能無し連中が、性やら権力やらを利用して、人の心を揺さぶり、心を引き裂くようなマネをする環境には嫌気がさしている。


オレはホンモノの自由を活かすチャンスを勝ち取った人間。


朗らかな人生、互いの長所を互いに応援し合える人を探しに行く。
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