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北朝鮮拉致の工作機関① 2015/06/05

NHKへの制作協力=真木よう子ナビゲート NHK BS ”アナザーストーリーズ~運命の分岐点~”第2クール第1回放送「大韓航空機事件」
http://nihombashi-sr.com/2016politics

拉致について、山高新聞(現在は閲覧不可能)、特定失踪者、救う会の記事などを参考に纏めたものです。
埼玉県議岡重夫先生(写真)より再投稿の要望を頂きましたので、追加補足し投稿します。

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闇に葬られ、素通りされた出来事の真相を一日も早く究明して頂きたいです。

在日韓国籍で北朝鮮工作員の宮本明こと李京雨(拉致被害者の田口八重子さん、曽我ひとみさん、曽我ミヨシさん、小住健蔵さん、古川了子さん、山本美保さんの拉致実行を指揮した疑惑)が、池袋駅西口キャバレー・ハリウッドの源氏名・千登瀬(田口さん)の下へ通い、自身の経営する目黒駅前喫茶ラタン(品川区上大崎2-17-3、今ものうのうと営業している)へのスカウト話を持ちかけ、支度金として目白の託児所へ預けてある田口さんの子2名の託児料・1ヶ月分を前払いした後、当時一般は渡航出来ない北朝鮮へ特別に海外旅行させると言って宮崎から工作船で拉致した。

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極東工作機関の宮本機関・蜂谷機関・小野瀬機関は、駐マレーシア大使館員だった姜載連2等書記官の指令を受け(当時アジア地区の司令塔は駐マレーシア北朝鮮大使館であった)、日本側は大丸物産の李京雨(社長)、蜂谷真一(故人・常務取締役)、北朝鮮側は青山(久米裕事件の金世鎬)、小野瀬良三(極東工作組織TOP)のシフトで拉致を実行したとされる(当時、私の住んでいた目黒のマンション=ラタンから徒歩5分にも大韓航空機テロ謀略のための工作会社と山口組が入居していた=)。

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87年11月29日のバグダッド発アブダビ経由ソウル行大韓航空機KAL858便爆破テロ事件の犯人・金賢姫が88年1月、ソウルで行った記者会見で、金賢姫に日本語を教えた李恩恵の似顔絵が田口さんに酷似、会話内容なども田口さんの状況と合致していることから、北朝鮮に拉致されたことが発覚したが、事件後2人の子供を養子として育てていた田口さんの兄・飯塚さんと姉が子供への影響を考えて申し出ず、92年まで特定できなかった。

李京雨と蜂谷真一は大韓航空機テロ画策の為に大丸物産を起こしたとされている。2人は84年8月25日より10月6日までの間、東南アジア旅行と称して大韓航空機テロの予行演習と謀議打合せに出かけているが、当時の蜂谷の業務ノートには、李恩恵と、大韓航空機事件の実行犯である金賢姫(偽・蜂谷真由美)・金勝一(キム・スンイル、偽・蜂谷真一)と一同に会したことや、その際、古川了子さんも同席していたこと(写真は蜂谷真一と。当該の写真は毎日新聞を経由しご家族の照合を得たようです)、田口さんが拉致前に豊島区に居り、目白には日本女子大があり思い出していた様子などが記載されている。腕を組む写真はその時バンコクのラジャホテルで撮影された田口さんである。
田口さん並びに古川さんが当時働いていた所はバンコクのダウンタウンにある韓国レストラン・コリアハウスであり、経営者である三谷夫婦も二人の存在を確認している。

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大韓航空機事件の偽造旅券で、蜂谷は「東南アジア旅行で宮本に旅券を貸したので、その際宮本が偽造旅券を作成したのだろう」と言い逃れ、テロ事件の被害者になりすました。

朝日新聞社と共同通信社はテロを事前に察知していた。事件がテロとして表面化する前の11月30日、朝日新聞社・大井屋健二は蜂谷のアジトに取材で訪れ、84年9月24日撮影の東南アジア謀議の写真を掠めとり報道した(左が李京雨、右がピストルを持つ蜂谷真一)。
ただし、意図的に?蜂谷が銃を持っている部分を隠し上半身のみをマスコミ報道したことで、「蜂谷は被害者」との煽動に一役を担うことになった(宮本明が北朝鮮工作員・李京雨であることのみ表面化)。

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12月2日、公安一課は共同通信社で取材を受けている最中の蜂谷を参考人として任意同行。共同通信社の桑原正樹ら3名の名刺は有印公文書偽造同行使として押収された。事件はのちに公安外事二課に引継がされ、84年の業務ノートも押収された。しかし同課八巻済善氏は蜂谷を被害者として扱い、朝日新聞社や共同通信社への事情聴取も行わず事実解明に消極的であった。山本剛史氏の取材によれば、警部補の八巻済善氏が北朝鮮工作員であったと指摘している。

李の仲間で、爆破テロの偽装工作の為に蜂谷へアジトを提供したとされる渋谷区恵比寿4-10-8長沢荘大家・長沢勝夫・春江(事件後の12月12日に謝礼として1億2千万円を着服したとされる)、渋谷区恵比寿1-18-4松月荘大家・東郷邦夫にも捜査のメスが入らなかった。

以下の蜂谷真由美さんと蜂谷真一のツーショット写真は、真一が死ぬ間際(98年8月29日死亡)に、「真由美をなんとかしてやってくれ」「他にも大勢連れていっとると宮本が言うとった」と山本剛史氏に提供したものである。

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真由美さんは大韓航空機第858便爆破テロ事件(87年11月29日)で金賢姫になり済まされた。 北朝鮮工作員の李京雨の経営する工作会社大丸物産(表向きは貿易会社)の常務取締役として名を連ねていた真由美さんの父・蜂谷真一は、事件に際し娘の真由美さんを北朝鮮に差し出すのと同時に、金賢姫に対し真由美さんのパスポートの名義貸しに加担、一方で当人の名義は金勝一の偽造パスポートに貸し出しを実行した。

蜂谷は事件直後、マスコミを利用し「旅券を友人宮本に盗用された。被害者である」と名乗り出た(87年12月1日)。真由美さんは当時、日本で600万人、韓国で3600万人を照会したが、該当者が見あたらず、事件後の取調べで蜂谷真一が被害者として扱われ「(真由美さんの存在を)知らない」と突き放した為、実在しない人とされてしまった。

問題は日本の公安外事2課が偽造旅券の指紋照合を怠ったこと、事実のもみ消しに着手したことにあるとされる。

当然真由美さんは日本政府による拉致被害者に認定されておらず、その北朝鮮・国内での消息や安否は不明のままである。

李京雨らの当時の拉致工作の組織図は次の通り。

(1)工作員:
宮本明(李京雨、韓国済州島出身、本籍地・大韓民国済州道北済州郡翰林金陵里1421番地)
朴(拉致被害者の小住健蔵さんなり済まし)
金勝一(大韓航空機テロ実行犯の偽蜂谷真一)
小野瀬良三
蜂谷真一(元帝国陸軍通信兵・陸軍曹長・特務暗号電のプロ)
片岡清
石山龍三
横田真智子
山崎英三

(2)工作機関
宮本機関
蜂谷機関
小野瀬機関(極東TOP)
片岡清機関

(3)工作会社
大丸物産(江戸川区西葛西8丁目11番17号)
アサヒ電工(横浜・鶴見)
中央産業(新宿)
協栄食品(上野)
山万(江戸川区・平成8年北海道小樽へ移転)
小野寺工務店(佐渡)
目黒無線東京通信工業
喫茶店ラタン(品川区上大崎2-17-3)

(4)資金源・関連
デパート高島屋(片岡清関連)

(5)偽造アジト
長沢荘(渋谷区恵比寿4-10-8、大家・長沢勝夫・春江)
松月荘(渋谷区恵比寿1-18-4、大家・東郷邦夫)

最後に、李京雨や蜂谷真一とともに、大韓航空機爆破事件実行犯の工作員、金賢姫や故・金勝一(事件発覚に際し服毒自殺)の旅券の手配などに協力していたとされている”朴”こと成り済まし”小住健蔵”=写真八枚目=と李京雨(宮本明)との関係について記載してみる。

小住健蔵さん(樺太出身)は、1948年、引揚船で函館に移り住んでいた。小住さんは1961年、東京に就職後、消息が途絶え、いつ北朝鮮に拉致されたのか、足取りが全くわかっていない。成り済ましを目的とする工作員は、「身寄りがない」「免許証やパスポートがない」ことに着眼し、拉致対象者を物色していた。

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西新井事件の「小住健蔵」こと朴は、80年、小住さんの戸籍を函館から東京へ転籍させた上で本人になりすまし、80年6月に小住健蔵名義の旅券を取得し、83年6月までの間に、欧州、マレーシアへ6回渡航していた。渡航の目的は、当時アジア地区の司令塔でもあった駐マレーシア北朝鮮大使館1等書記官の雀や2等書記官の姜載連との接触や、次の対南・対日工作の司令を受ける為の欧州経由での一時帰国と思われ、再来日の上で、日本国内における在日朝鮮人への包摂活動に従事していた。

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朴は小住さんに成り済ます前、「松田忠男」という偽名を装い、70年頃から日本の女性を騙して同棲生活をする一方、宮本明こと李京雨の手筈で工作活動を進めており、大阪の在日朝鮮人金錫斗を従え、山谷の身寄りの無い小熊和也さんという男性を介抱し信用させた上で、健康保険証を借り受け小熊さんに成り済まし、旅券を取得の上、欧州・マレーシアへ頻繁に出入国を繰り返していた。小住さん拉致は、小熊さんが結核で病死した経験から、今度は宿り木が病死等不可抗力の事態にあわぬよう、周到な犯行であったことが予測される。

朴の小住さん背乗り成功後、李京雨は上野にある朝鮮総連商工会議所の資金援助の下で、80年7月8日、国際ネットプライス(江戸川区西葛西8-11-17)を設立し、(1)小住健蔵を取締役としての社員ID(身分証明)を提供し、(2)保証人として足立区西新井に小住健蔵としてのアパートを準備し、(3)小住健蔵名義の旅券入手を支援した。

北朝鮮では80年は韓半島の赤化統一のみならず日本革命に積極的に動いた時代だった。79年10月に朴大統領が側近に射殺され韓国が大混乱に陥り、80年5月には学生運動が尖鋭化し光州事件が勃発。革命絶頂期と見たからである。一方、79年12月にソ連がアフガニスタンを侵略、80年代に入ってソ連は大平洋艦隊を強化し「アジア革命」を強力に志向するようになった。これに呼応し82年の金日成生誕70周年と金正日生誕40周年をソウルで迎えようと北朝鮮は革命工作を激化させた。

こうした流れの中で83年4月に西新井事件が起こる。同事件は「小住健蔵」が訪日予定のレーガン米大統領の暗殺計画を練っていたもので、工作員グループが逮捕されたものの「小住健蔵」は直前にクアラルンプールに出国。83年6月にマレーシアを出国し北朝鮮に帰国した。85年3月、朴が小住さんになりすましていたのを警察庁が摘発し指名手配、現在も国際手配されている。朴に対して本国から送られていたと見られる「指令電文番号」は日本を含む極東地域で西側の情報機関により02年まで傍受されていた。