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北朝鮮拉致の工作機関② 2015/06/05

NHKへの制作協力=真木よう子ナビゲート NHK BS ”アナザーストーリーズ~運命の分岐点~”第2クール第1回放送「大韓航空機事件」
http://nihombashi-sr.com/2016politics

80年2月、静岡県出身で戦後帰国した北朝鮮工作員・辛光洙は平壌市龍城区域龍城5号招待所で、金正日から「日本に浸透し合法身分を獲得せよ。その為に日本人を拉致し、その人物に成りすまし、南朝鮮の各種情報を収集報告せよ」と拉致指令を受けた。

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原敕晁さんは当時、朝鮮総聯系大阪府商工会理事長・李三俊の経営する鶴橋の中華料理店・宝海楼でコックをしていた。李三俊は、同会会長・李吉炳から協力要請を受け、背乗りのターゲットに独身で身寄りがなく、免許証や旅券を未取得、所得税を申告したことも、健康保険の申請や年金加入の事実もなく、銀行に口座を開設したこともない原さんを推薦した。拉致実行について、李吉炳は貿易会社の社長に、辛は坂本専務に、金吉旭(朝鮮総連系民族学校の元校長、当時は大阪市東成区小橋3-3-23、現在済州島に帰国)は常務にそれぞれ扮し、原さんに「良い職場を世話する」と騙し、面接・内定祝い名目で青島橘ホテル(廃業)へ招待した。辛らは原さんを泥酔させた上で、「社長の別荘に行こう」と外に誘い出し、袋詰めにしたうえで「会社所有」のゴムボートに乗船させた。その後2人は沖に停泊していた工作子船、工作母船と乗り換え、21日、南浦港に到着し、金正日ら3名に原さんを引き渡した。

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辛は拉致前日には平壌放送で「予定通り接線する」という内容の約定暗号「29627」(辛の生年月日)もA-2指令で受信していた。
辛はその後、原さんの経歴、過去の生活から中国料理法まで習得し、11月26日、3回目の日本青島海岸に不法入国を果たす。
辛は、81年5月下旬、李吉柄の紹介で知り合った方元正(東京豊島区要町2-30、東池袋のニューコリアンパブ経営)に、在北中の義兄弟・金鳳基の身元をきちんと保障し事業資金も積極的に支援すると包摂した後、方元正を利用して「原勅晁」名義の旅券、運転免許証(東京都豊島区東池袋)、印鑑登録証、国民健康保険証などの発給を受けた。
辛は対南工作の為に在日朝鮮人を包摂し、工作拠点拡大の為、世界中を動き回るが、85年2月、韓国入国3日後、協力者の1人・方元正が当局に自首したことから、ソウル市内のホテルで国家保安法違反容疑で国家安全企画部に逮捕された。
95年4月23日のオウム真理教科学技術省長官・村井秀夫刺殺事件で、村井を刺殺した徐裕行が犯行直前まで住んでいた西新井の家の所有者の女性の姉・朴春仙は、かつて辛光洙と同棲していたことが明らかになっている。村井の指示で信者は原発に労働者として潜り込み内部資料を持ち出していたが、村井が原発資料を集めていた背景には、北朝鮮が密かに進めていた「核開発」があったと想定できる。オウムの集会によど号グループの妻の1人、八尾恵がパネリストとして出席するなどオウムはよど号側と接触を図ろうとし、北朝鮮もオウムを利用して日本の原発資料入手を目論んでいたと言われている。

辛は韓国において国家保安法により死刑判決を受け(後に減刑され無期懲役)服役していたが、99年12月31日、日本の反対を押し切って、金大中政権の太陽政策の下に「非転向長期囚送還」で恩赦で釈放され、00年9月2日北朝鮮に送られた。李三俊は01年12月死去、李吉炳は今も料理店を営んでいるが、事件の関与を否定している。辛光洙が韓国で逮捕された際、土井たか子、菅直人、江田五月、青島幸男、千葉景子らが、辛と金吉旭らの即時釈放を求める嘆願書に署名していた。辛は日朝首脳会談15日前の9月2日、板門店にて帰国2周年の集会に参加し、代表して宣言を読み上げた。朝鮮中央通信は「統一愛国闘志の非転向長期囚」と辛の栄誉を讃えている。

02年9月17日、原さんについての北朝鮮側発表は次の通り。朝鮮名朴チョルス、80年6月から84年10月まで招待所で暮らす。84年10月19日、田口八重子さんと結婚。86年7月19日黄海北道麟山郡で肝硬変で死亡。入国経緯は「原さんが金儲けと歯科治療の為海外行きを希望していたので、工作員が原さんの戸籍謄本を受け取る見返りとして日本円100万円と共和国への入国を密約した。これにより80年6月17日、宮崎市青島海岸から連れてきた」とされる。だが、100万円の真相は「転職話」で騙した際の謝礼金(裏金)であり、北朝鮮に都合のいい発表である。辛が原さんに成りすますために日本人化教育を受けた招待所は、金賢姫が「李恩恵」こと田口さんから、日本人化教育を受けた訓練所と同じだったことが分かっている。