【日本橋】コロナ禍の影響で3年連続中止となった隅田川花火大会の由来&日本橋クルーズ&日本橋の遺構 2022/04/17
隅田川花火大会の由緒
隅田川花火大会
その歴史は江戸幕府第8代”暴れん坊将軍”徳川吉宗の治世に遡る。
享保17(1732)年の大飢餓と疫病の流行によって犠牲となった多くの人々の慰霊と悪病退散を祈り、翌年旧暦5月28日(現在の7月9日)、水神祭が開催された。
このとき、大川(現在の隅田川)に架かる両国橋周辺の料理屋が公許によって花火を上げたことが「両国の川開き(隅田川花火大会)」の起源となった。
ドラマ『暴れん坊将軍』でも、大川の花火大会の由緒(エピソード)が取り上げられている。
隅田川花火大会の由来
暴れん坊将軍 徳川吉宗 pic.twitter.com/uw50B7tijY— オレ様とまぁや (@ramen_de_sinus) April 17, 2022
日本橋クルーズ!豊海橋サイコー!
日本橋水門→亀島川→中央大橋・勝鬨橋Uターン→隅田川大橋・清澄大橋Uターン→豊海橋→日本橋。
オレの思い出の橋=豊海橋=はロンバケのロケ現場だった。
懐かしい隅田川テラスと豊海橋。
人形町、浜町、箱崎、佃、月島。
「人」の存在はなく、ただ楽しかったという「感情」だけは忘れてはいない。
もう、あんな無謀で過熱した恋はできない。
それも教訓だ。
かつて事務所を構えていた日本橋を懐かしみ。
今も残る日本橋の関東大震災の焼け跡(橋の下にいた船が炎上した)
江戸橋を抜けて茅場橋へ向かう
日本橋川は徳川家康の遊び心が加わっている。
富士山が見えるようにクネクネしている設計にした。
日本橋水門から亀島川を下り、隅田川方面へ(リバーシティを臨む)
日本橋には、アメリカ合衆国による東京大空襲の焼け跡も残っている。
日本橋は慶長8年(西暦1603)に架けられた橋である。
江戸時代は、五街道(東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道)の起点となった。
起点となる日本橋川の橋の中心には、日本国道路元標(筆跡は佐藤栄作)が埋め込まれている。
現在、中央通り日本国道路元標地点は
国道1号、4号、6号、14号、15号、17号、2計7幹線国道の起点だ。