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【青山学院アイビー・シー・エス大学食堂】30年前の松本との邂逅「一緒に夢を語り合いませんか?」(夕飯は青学の学食でカルボナーラを喰らう!/②21:15頃の青山通りと青山キャンパス) ★2023/1/14(土)21:20 2023/01/14

30年前の松本との邂逅


国連大学から撮影した今宵21:15頃の青山通り(国道246)。
左手は我が母校青山学院大学。
キャンパス内の高いビルは「総研ビル(14号館)」と言い、厚木キャンパスから青山キャンパスに帰って来た1992年に竣工した、、、と思う(記憶曖昧)。
月曜4限オペラ講義の教室は14号館だった。
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青山骨董通りと青山通りとの交差点(南青山五丁目)
骨董通りをひたすら真っ直ぐ行く!
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六本木通り交差点(高樹町)を抜けて、東京女学館大学と聖心女子大学を眺めながら日赤通りを通過すると広尾駅付近の商店街に至る。
そのまま真っ直ぐ行くと恵比寿ガーデンプレイス→ウェスティンホテル東京→厚生中央病院→目黒三田通りへ。
実は自宅から単車(スティード400)に乗り、このルートで青学に通っていた。
上記の画像の地点まで僅か7分。
ほとんど信号がないスムーズな裏道だ。
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19:00過ぎ、夜勤現場にシフトする前、青学の学食を利用した!
なんと、カルボナーラだ!
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1994年3月、青学卒業式(正門)
51歳の松本から、23歳当時の松本に質問がある。
この頃の君はどんな夢を描いていた?
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仕事で自信をつける前、まだ純で澄んだ目をしていた頃の君は?
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3年間勤めてから、学生(大学院)に戻ることだったよね。
30年後の松本は、大学院に戻るわけではないけど、別のかたちで学生に戻れたよ。
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30年前の、君の努力がなければ、今の私は存在していない(1989年10月28日、浪人生の頃)。
ありがとう。
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青山学院大学に入学、卒業できて、本当によかったと思う。
胸を張って「青学出身です」と言える。
清潔で洗練されたハイセンスのイメージそのまま、素晴らしい大学だった。
サイコーのブランドとキャリアをありがとう。
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青春時代のアツい気持ちを、30年経った今でも大事にしている。
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可能性を信じて、チャレンジする。
いつまでも華をもって生きて行きたい(日本橋交差点 青学同窓たちと箱根駅伝応援)。
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青山学院大学校歌
作詞/大木 金次郎
作曲/平岡 精二


1. 若きこの身に つきせぬ夢はぐくみ
  神の道、真理(まこと)、生命(いのち)の教えをうけん
  忘れじ緑の銀杏の並木
  この学び舎(まなびや)に幸あれかしと
  こだまするチャイムの響
  わが母校 青山学院


2. 四海に逆巻き 移りゆく現世(この世)にも
  永久に変わらぬ主の愛を信じてゆかん
  わが師とともに拓く学問(がく)の宝庫
  友と語らん世界の平和
  こだまする正義の叫び
  わが母校 青山学院


30年前の松本との邂逅
6年半在籍したGとの決別の期日が近づいている今だからこそ、青学を見ながらの夜勤に常勤シフトできてよかったのだろう。
太陽と勇気を与えてくれる。


青学から、銀座ミシュランの店が出店したOLターゲットの廻転鮨銀座おのでら本店を通過。
2021年12月、加藤班の仕事の際に来たときはかなりの並び待ちが発生していたのに、今夜はガラガラ。
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表参道。
ちょうど施工業者がやって来て、エルメス付近でイルミネーションを点灯した(段階的な解体作業)。
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