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【アルバム】京子先生(普通の素敵なお嬢さん・最も穏やかでよい想い出がたくさん心に残る交際=5年7ヶ月でした) 2016/03/14

モーターマガジン社「Mr.Bike ミスター・バイク」1994年6月号。
湘南R134を走行中、盗撮された写真を思い出し、本日、雑誌を広げてみた(スクロールして写真末尾)。
雑誌の近くには、2ケツしていた女性との交際のアルバムを所蔵。
懐かしくなって広げてみた。
馴れ初めは、大学4年の夏。
バブル崩壊後、氷河期元年の就活(しかも入試のときも、ベビーブームの煽りを受けて、青学の受験倍率36倍とか、散々・・・)を終えて、卒論に勤しみながら、駿台池袋高校課のバイトに復帰したときに、新人バイトとして入っていた女性でした。
名は京子さん。兵庫県神戸市出身。
大妻女子大学の3年生で、保母を目指していた。
毎日、ペアでバイトに入るようになり、お互いに好意があることがわかりつつ、静かに2ヶ月を助走した。
画像で見てもわかるように、普通のお嬢さん。
私の交際経験では、唯一、灰汁のない普通の女性でした。
若くから交際していたので、「婚期」という壁にぶつかった。
彼女から結婚を求められたのが1998年。
その秋(交際5年を経過)に、彼女から「結婚したいけど、松本くんとは、結婚することが想像できない。冷却期間を置きたい」と切り出された。
翌年1999年3月11日、誕生日を祝う1枚の手紙と、夜に電話があった。
「もう一回やり直そう」と言い出せなかった。
京子先生は、「冷却期間」を自身から切り出したことなので、「もう一回やり直そう」とは言えず、ただただ、電話越しに泣いていることがわかった。
以後、半年に1回は連絡を取り合っていた。
そうした関係を継続しながら、3年以上経過した2002年夏に、私の母が他界した。
京子に連絡した。
双方の母親がとても仲良しだった。
京子は「私は行けない」「お母さんが行く」ということだった。
このとき「恋人がいるんだ」(そりゃ、男がほっとかないよ)と、うすうす気づいた。
2003年の正月明けの日曜に、一通のメールが入る。
「昨日、結婚しました。これまでありがとう。ご多幸をお祈りしております。」って。
初対面から12年5ヶ月。ピリオドになった。
以後、彼女は携帯を解約し、どこでどうしているかわからない。
互いに、恋人がいることを言い出せなかった。
言う勇気がなかった(伝える必要もない)。
2013年、思い切って彼女のご実家に電話したが、番号の所有者が変わっていた。
「そっか、一戸建てだったけど、ご両親もよい年齢だったから・・・」
いずれにしても幸せであってほしいなぁ。
当時、結婚に踏み切らなかったことに対する後悔はない。
そういう運命だったんだと、大切な、そして心綺麗な思い出にしている。

1994年3月3日 熱海ビーチライン
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1994年3月30日 東京駅 遠距離恋愛
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1994年5月5日 省川砂防ダム
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1994年9月21日 銀閣寺
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1997年5月3日 田沢湖
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1997年5月4日 小岩井農場
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1997年12月28日小江戸川越
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ミスターバイク

個人情報保護法が公布される9年前、今じゃありえないね。
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