【地域史】練馬白山神社と練馬谷戸支流暗渠 ★2026/3/4(水)12:38 2026/03/04
江戸時代は杉本家と寺崎家の村だった練馬谷戸
白山神社(練馬区練馬谷戸4-2-24)
現在は村社に昇格している白山神社は、元は長吏小頭杉本家持ちの社だった。
杉本本家は、戦時、皮革事業に失敗し白山神社を残してこの地を退転したということだ(恐らく杉の字を別の漢字に変化した3つの苗字の方々が分家ではないだろうかと想像する)。

『練馬区史』P1240-1241
白山神社(練馬区南町五丁目六七四四番地 旧地名武州豊島郡下練馬村谷戸、谷戸山)
北豊島郡史によれば、本社の創建年代は、「明治初年、祝融の災に依り其の由緒書及村内の記録等焼尽せられて詳細を知るに由無しと雖も、現存せる遺物又は天然物等によりて推定するに遠く、源家の興隆時代に創立せられたるものなること想像に難からず、尚古老の口碑によれば、往昔源義家奥州討伐の抑ここに戦勝の祈願をこめ、欅苗を奉納するところありたるが、明治初年迄六本あり、又境内に隣接せる杉本方にて天保三年(1832)井を開墾したるに、同家の祖源頼兼が弘安四年(1281)に元寇の役戦勝を祈願したるときも、建立したりと傅へらるる一基の石碑の発掘せられたるが其の刻字に弘安四年八月とあり、尚同時に発掘せられたる他の一基には延文元年(1356)とありたりと、当時當村は関東武士が鎌倉に往来する途次にありて既に村を形成したりと云へば、本社は弘安四年以前に勧請せられたるものたるや明なり」と書いてある。
仲町一丁目加藤源蔵氏所蔵の文政九年二月、武蔵国豊島郡下練馬村御割附之写に、
白山大権現 (除地)同附
一、社地上畑四畝拾弐歩 杉本惣兵衛持
一、御供免
一、下々畑壱半弐拾四歩 反別合壱反五畝六歩 此高壱石 右同人持
と記されたのは、この社である。
境内末社 稲荷神社 猿田彦命 保食命 大宮比売命 三峯神社 伊邪那岐命 伊邪那美命
氏子区域は「練馬町字谷戸山、谷戸、出頭、谷戸前、栗山の一部(板橋区練馬南町五丁目全部及同四丁目一部)五百戸」と北豊島郡神社誌に書いている。

石鳥居
寛政九丁巳歳九月吉日(1797)
願主 杉本惣兵衛 大工 呑音中
世話人 寺崎清助・九三良・仁平・惣右衛門・徳兵衛・伊三良

狛犬
文政元戊寅年九月吉日(1818)
當村 願主 杉本惣兵衛
江戸 浅原山台町 石工 平次郎

練馬白山神社WEBページより転載
樹齢は推定900年。
1083年、源義家が「後三年の役」で奥州へ向かう際、戦勝を祈願して奉納したものと伝えられています。
かつては神社を取り囲んでいたケヤキも、明治初期には6本、今は1本のみが残っています。
石段上のケヤキは樹高14メートル、幹周り7.2メートル。昭和15年に国の天然記念物に指定された当時は、幹周りが10メートルもありました。
(大型台風による幹折れ被害のため、平成28年にやむなく伐採)
石段下のケヤキは樹高19メートル、幹周り8メートルで都内最大のケヤキ。平成8年に国の天然記念物に指定されています。
落雷や、腐朽の進行による樹幹(じゅかん)の空洞化などが原因で衰弱していましたが、平成3年から平成9年にかけて数回にわたり、樹木医による治療を施され、徐々に樹勢を回復しています。
様々な苦難を乗り越え、今なお、力強くそびえ立つ生命力が評判を呼び、パワースポットとしての人気につながったようです。

天然記念物指定
1940年7月15日 石段上の木が国の天然記念物に指定される
1988年 練馬区登録天然記念物となる
1996年3月29日 石段下の木が国の天然記念物に追加指定される

練馬谷戸の最南端
谷底にある、谷戸山の村の中心を流れた石神井川支流暗渠の起点(上の画像にあるレンタカー屋さんが右手)
袋小路の行き止まりから撮影。
著名な暗渠マニアによれば、この辺りから泉が湧いていたという。
ここから流れた泉は石神井川に合流した。
※常識的に考えて、飲水の千川上水には合流しないし、従って千川上水からの支流ではない。

練馬谷戸は、この村の人々と同じ出自(長吏)を持つ東京・埼玉・神奈川・千葉・一部京都からの移民が結集し、一大集落を形成して、戦時、皮革産業が栄えたエリア。
この小川にも、生活排水の他、皮革町工場の汚水が垂れ流されたのだろう。

白山神社の西側は、太田道灌に滅ぼされた豊島氏の石神井城の支城練馬城(としまえん跡地)

練馬城の西側は向山ヶ谷戸
練馬城は高台に位置し、城西は低地の向山ヶ谷戸、城東は低地の練馬谷戸に挟まれている

練馬白山神社
〒176-0001 東京都練馬区練馬4丁目1−2



































