【らーめん田丸】第1食 1945年終戦後から創業80年を迎える田丸へ(お店の名称由来や簡易な沿革について)/付録:目黒散歩② 目黒権之助歩道橋跡地&鹿鳴館跡地 ★2025/4/26(土)14:19 2025/04/26
0歳から26歳まで過ごした目黒へ
目黒までの移動
かつてなら迷わず自転車を利用したのに、今日は超久しぶりに電車を利用した。
小滝橋通り→明治通りを使うルートは新宿駅エリアを抜けるのが大変。
山手通りを使うルートは中野区エリアの坂道のアップダウンと、神泉・松見坂(又は旧山手通り鎗ヶ崎の交差点)を抜けるのがめんどくさい。
ただ、電車は人混や乗客トラブルがコワイのでイヤなんだよね。
西武池袋線椎名町駅を利用して目白駅に到着する時間(25分)より、自宅から目白駅まで歩いた方が早いことに気づいた!(22分)
それと、池袋→目黒は200円じゃなかったの?(驚)
2017年誕生日以後、電車は年数回しか利用しなかったので、時代の変化を感じた。
目黒に到着!
目黒駅ホームは昔タバコを吸っていたことばかり思い出す。
上画像の反対側から撮影した歩道橋写真
こんな感じだ。
撤去完了は2016/1/27
目黒権之助歩道橋
2016/1/27までに撤去された pic.twitter.com/361UrrY7Vt— OKATO オケイト (@miyazakitei) April 26, 2025
ヘビメタインディーの聖地
鹿鳴館がなくなっている。
ビル解体するのかよ。
らーめん田丸
最後に来た日は、2022/2/8夕方、G伝説の30連勤(15日間日勤夜勤連続勤務)の渦中。
13.5連続勤務=28連勤目(柿の木坂での夜勤)を迎える前、赤羽橋での日勤現場から自転車で立ち寄って食べた夕飯以来のこと。
2/10大雪予報のため現場が飛んでしい、2/9夜勤まで30連勤でストップ。
同年同月はGだけで80万円以上稼いだ!
新宿支社320人の頭領に上り詰めたオレの最大の偉業。
年収1300〜1500万円プレイヤー真っ只中の一幕を思い出したよ。
田丸へは3年以上来ていない。
大盛チャーシューメンはその当時から150円アップ。
以下の画像は創業以来のレギュラーメニュー
今の3代目(中国人夫婦)が新メニューを出して、現在はネギチャーシューメンが一番人気。
大盛チャーシューメン 1100円
アツアツで口内火傷しそうだ。
1971年から26年暮らした目黒
らーめん田丸
1945年終戦後から創業80年を迎える田丸へ
お店の名称由来や簡易な沿革について大盛チャーシューメン 1100円
辣油は欠かせない!https://t.co/5ys1b2ThcQ pic.twitter.com/oU1GqoVkl0— OKATO オケイト (@miyazakitei) April 26, 2025
田丸創業は1945年終戦後。
オレが子供の頃、既におばあちゃんだった吉田さんが創業者。
田丸の名前の由来は「吉」を「◯(良い)」に文字って田丸とした。
お孫さんが兄と同級生で、1代目の時代の後半は、おばあちゃんと妹さん、ヤクザから足抜けした息子さん(縁故飛ばして左薬指と小指2本がなかった・オレが中学生の1985年頃に変死している)がやっていた。
2代目に引き継いで一時期都立大学に移転したが、バブル期に権之助坂(創業地は焼肉貴味苑がテナントの目黒Gビルなので、現在の場所とは違う)に戻ってきた。
〒153-0064 東京都目黒区下目黒1丁目5−20