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【中華そば 来味】第2食 板橋宿本陣・板橋・板橋大木戸と火の見櫓・縁切榎(板橋宿上宿・仲宿) 2018/10/18

王子新道沿いにある来味。
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新潟市江南区からかつて零式があった場所に移転。
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ラーチャン900円
煮干しラーメンと半チャーハンの組み合わせ。
到着時、満席だった。
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食後、板橋宿(仲宿・上宿)見学。
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中仙道板橋宿仲宿碑
★二里二十町九間・・・10.052.72m(十粁五十二米)
「中仙道板橋宿 これより仲宿商店街 日本橋より二里二十町九間(十粁五十二米) これより北上すれば 上州高崎を経て 越後路・木曽路に至る」

板橋宿本陣飯田新左衛門家跡
江戸から10㎞程度の位置にあった板橋宿は、宿泊用途というより休憩施設として利用され、藩主と江戸の家臣との謁見・送迎の場としても機能した。
板橋宿本陣は古くは飯田新左衛門家ら数家で務めていたが、当家が宝永元年(1704)に別家する際、世襲名「新左衛門」・本陣・問屋役を承継。同時に広大な土地を譲渡された。
現在、飯田家は仲宿の大地主ですね。
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板橋宿中宿名主飯田家跡(板橋宿中宿脇本陣 名主 飯田総本家)
飯田家は大坂の陣で豊臣家に仕え、中台村から下板橋村に移り、仲宿を開発して名主となった。
総本家(世襲名「宇兵衛」)は宝永元年に本陣を新左衛門家に譲渡。
名主家(宇兵衛家)と本陣家(新左衛門家)は養子縁組を行うなどその機能を相互補完し中宿の管理と宿駅の機能の維持・運営にあたった。
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板橋(石神井川)
日本橋から二里二十五町三十三間(10.641.81m)
板橋の地名由来はこの橋にあると言われている。
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板橋を越え、仲宿から上宿へ。
動画は旧中山道、中華料理かさま付近(年貢町屋の並んでいたエリア)から板橋本町交番・本町にぎわい広場(板橋大木戸跡)までを撮影。
大木戸は番太と呼ばれる木戸番が常駐していた。
木戸番は犯罪者や不審者の通行や逃走を防ぐため22:00頃に閉門。
また、犯罪者を捕獲する必要などが生じたときには、時刻に関わらず木戸を閉めて人の往来を止めた。
板橋大木戸は高輪・四谷と並ぶ3つの大木戸のひとつであり、とても重要な役割を果たしたのに、なぜか碑文は一切残っていない。
ただし、板橋本町交番には火の見櫓のモニュメントが建っている。
火の見櫓のモニュメントについて「板橋区産業経済部くらしと観光課」に直接確認してみたところ『昔、火の見櫓が上宿にあったので』という回答であった。
私には曖昧な回答に聞こえたので『火の見櫓は、昔、この地にあったのですか?』と再確認したところ『そうです』と。
なお、大木戸に関する見識は全くなかった。
木戸番は毎夜、拍子木を打って夜警をする一方、大木戸には火の見櫓が備えられており、火事のときには鐘を打つ役割も果たした。
この地を選んだように設置されている板橋本町交番は現代の木戸番でしょうか?
ただし、四谷、高輪ともに、大木戸は宿場町の外にあった。
板橋宿が木戸の内側にあったということになるから、板橋大木戸が実在したか疑念が残る。
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大木戸跡を少し北上すると「縁切榎」(榎大六天神)がある。
縁結びの神は普通にみられるが、縁切を祈願する場所はそうそうない!
絵馬には恋愛・不倫・上司との諍いなど悪縁を絶ちたい人々のドロドロした願い事が並ぶ。
ちょうど、動画を撮影しているときにも、絵馬を飾るために女性が訪れたため10分以上撮影を中断した。

江戸時代には「縁切榎」の対向(交差点を挟んで左斜め前向かい・・・動画に収まっている長寿庵の真向かい)に幕府の直参旗本近藤登之助の抱屋敷があり、屋敷内には榎と槻の古木があり、その榎がいつしか「縁切榎」と呼ばれるようになった。
嫁入りするため、中仙道を使って京都から江戸に入ろうとする公家の御姫様も迂回路を利用したそうだ。
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板橋宿の鎮守である氷川神社へ後日訪問(2018/12/9)
銀杏並木がきれいです。

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富士塚
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後ろの部分は中山道拡張工事の際、削られてしまった。
公務員のやることは常に愚かです。
自らの利権のために文化財を壊すなってことだ。
文化財を破壊するために来日してくる朝鮮人観光客と同等です。
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