【麺屋福丸】第1食 鎌倉街道を行く(笹塚十号通り~南長崎6丁目) 2018/11/08
昨夜から本日未明、自由が丘往復に際し、環七通り羽根木交差点⇔哲学堂交差点を利用。
そして今夜は笹塚に用事ができた。
そこで、鎌倉街道を使って笹塚へ赴いた。
折角なので、鎌倉街道に関して、これまで撮影済みのデータを後述する。
まずはラーメンレポ!
今晩は久々に鎌倉街道筋の福寿(写真右手前。なお、メインストリートの十号坂は鎌倉街道)を利用しようと思ったら、残念なことに20:30過ぎに早じまいしていた・・・
そこで笹塚エリア食べログ最高評点(3.56)の麺屋福丸に行くことにした。
醤油にしようか、白湯も捨てがたい。
どれにしようか迷った挙句、定番の鴨だし醬油ラーメン800円をチョイス。
醤油のコクと鴨出汁がコラボしてスープの旨味が口残りする。
加工されたメンマを使用せず、タケノコがそのまんなが使用されています。
鎌倉街道(中道)を行く!
笹塚からスタート
笹塚駅前の十号通り商店街は鎌倉街道です!
なお、明るい時間帯ならば、甲州街道の南側の玉川上水も収録したのですが・・・
残念です。
商店街を真っ直ぐ行くと、十号坂へ(富士見丘高校交差点)。
十号坂下で撮影した動画。
福寿があります。
鎌倉街道は南台へ。
南台公園から多田神社まで、鎌倉街道はぶつ切りになってしまっている。
多田神社の急な坂を上り方南通りを横断。
ちょうど神田川と鎌倉街道に挟まれて丸の内線の車庫がある。
鎌倉街道は神田川を渡り、杉並警察署、救心製薬を通過する。
更に北上し十貫坂へ向かう。
ただし動画は、北から南(杉並能楽堂付近から杉並警察署方面)に向けて撮影している。
十貫坂下にある地蔵堂
地蔵堂を北上する。
十貫坂の途中で、杉並区(和田)から中野区(本町)へ。
動画は十貫坂上(中野通り)から撮影。
鎌倉街道は、中野通りを横断し鍋屋横丁通りへ続いて行く。
鍋屋横丁通りを北上。
鍋屋横丁通りのお題目石。
左折する道は妙法寺へ通じる堀之内道である。
堀ノ内道・妙法寺に関しては別のブログで投稿済。
【らぁめん山と樹】第14食 妙法寺参詣道(堀之内道)から鍋屋横丁”お題目石”(鎌倉街道)・鍋屋横丁交差点(青梅街道と鎌倉街道)へ
鍋屋横丁通り(鎌倉街道)と青梅街道の交差点。
「鍋屋横丁の由来」
東西には青梅街道が走り、南北には鎌倉街道が走る。
北は新井薬師、南は妙法寺に向かうルートとして利用された。
鍋屋は草餅とともに、庭200株以上の梅林で有名になったという。
これから新井薬師方面へ。
鎌倉街道は早稲田通りを横断し、もみじ山通りの坂道へ。
紅葉山公園の庭園(紅葉橋)
中野区が東京百年記念事業の一環として建造した公園(1970年3月)で、大正時代には個人が所有するこの高台に紅葉がたくさん植えられていたことから紅葉山と呼ばれていた。
上高田へ(大日橋通り)。
鎌倉街道は正面の中華料理屋(燕京亭)で途切れてしまう。
風情ある「たきび」のうた発祥の地”(中野区上高田3-26)
鎌倉街道はこの中を走っているようだ。
小鳥が囀ずる「”たきびのうた”発祥地」の動画は早朝に撮影。
鎌倉街道は新井薬師駅東側の踏切付近で復活する。
踏切を渡ると享保四巳亥年造立の庚申供養塔がある。
これまでレポした鎌倉街道の中でも、上高田の民家を通る道筋が一番好きだ。
上記動画の逆から(哲学堂通りから新井薬師に向けて)撮影
妙正寺川四村橋を越えて哲学堂通りへ。
鎌倉街道の古道は哲学堂公園内を走る。
哲学堂公園。
中に入ると2手に分岐。
残念だが、この分岐の道はどちらも鎌倉街道ではない。
公園設計により途絶えている。
公園内の池を撮影(上記画像の左の道を行く)。
綺麗な景色で、週末や祝日になると、訪れる利用客は多い。
理想橋
左の白い建物は「絶対城」
次いで、左に出てくるのは「四聖堂」
その対向の右の修復工事中の建造物は「宇宙館」
ちょうど工事用シートが敷かれている道が鎌倉街道だ。
次に出てくる左の赤い建造物は「六賢台」
その対向にある白い建造物は「無尽蔵」という。
哲理門。
現在、修復工事中。
哲理門が封鎖されているので、その奥にある常識門から出た。
哲学堂通りから公園に入る際のメインストリート。
公園入口を出て蓮華寺前の道。
鎌倉街道中道の復活!
蓮華寺とみずのとう公園(野方配水塔)の間を通過し、中野通りに至る。
鎌倉街道中道を脱線して哲学堂交差点
四つ塚方面を撮影。
「江古田原・沼袋古戦場」開戦の地は、現在の「哲学堂交差点」付近と言われている。
この交差点の四隅には各々に高さ及び直径約3m程度の塚があった(確認された12基の豊島塚のうち、ここには4基あったので「四つ塚」と呼ばれている。豊島塚とは合戦の戦死者を葬った塚である)。
なお、交差点の北西側(セブンイレブンのエリア)からは兜、腐った刀、人骨が、東南側からは馬骨が出土されたが、何故かいずれも現存していない。
交差点の南西側(哲学堂公園と道路の敷居フェンス内)には、道路建設の際、豊島塚を削平したときに出た土を盛っている。
鎌倉街道に路線を戻す。
なお、鎌倉街道中道と重複した「中野通り」は目白通り南長崎6丁目交差点で終点となる。
本田宗一郎氏の豪邸がある西落合4丁目と江原町の間を北上していく。
寄り道。
本田宗一郎氏の豪邸の道。
私は1999年12月から約5年半、西落合4丁目に住んでいた。
南長崎6丁目交差点。
中野通りの終点。
ここで都道420号は通称名がなくなる。
目白通り南長崎六丁目交差点に隣接する南側。
この細道は河川だった。
それゆえ、細道が区の境界線になっている。
左から目白通り、取り残されたように豊島区(南長崎6丁目)、河川、新宿区(西落合4丁目)の順。
目白通り南長崎六丁目交差点に隣接する北側。
左が鎌倉街道、建物を挟んで右は川(用水路)だった。
なお、挟まれた建物の真上の清戸道にかかるエリア(南長崎6丁目側)は、その当時、牧場だった。
鎌倉街道と清戸道の交差点。
1997年2月から1999年12月前半、2005年8月から翌年1月までこの周辺に在住した。
なお、清戸道はこの地を起点に千川通りという通称名で呼ばれるようになる。