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【地域史】武蔵浦和白幡村十蓮字の長吏曲輪(菊池山哉のいい加減な歴史認識とマッポン部落地名総監屋にお説教!) ★2023/10/11(水)0:30 2023/10/11

“源氏車犬輔”邂逅の地


意図的に住所を書かないようにしてある


長吏曲輪を調べている人間に、あまり知られていない曲輪。
要するに、菊池山哉著『長吏と特殊部落』を読み、長吏があったのがわかっても、肝心の場所が特定できていない曲輪だ。


『長吏と特殊部落』P260
北足立郡、六辻村、白幡、□□(十蓮字)
〇白幡の曲輪は中山道に座して浦和町南端に位する
〇白山神、社殿は大きい、神体は鏡、棟札はない
〇農家十戸許り。
〇豊多摩郡の白幡にも白山神社がある。白幡と白山と、何か関係あろうか。ここは和名抄堀津の郷である。直ぐ北數町に式内調神社がある。但し中山道の開通は慶長年間であるからここへ出たのはその後であろう。草創は分からない。昔白幡村そのものが曲輪であったかも知れない。寺を醫王寺と称し金子内匠なる人が薬師堂を建て、醫王寺はその別当寺と云、鎮守八幡社の境内には十抱えの老杉があったが明暦二年の大風に倒れたと云。古村には違いない。

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まずは山哉を叩くぞ。
「白幡と白山と、何か関係あろうか」
全く関係ありません。
まだ縄文弥生の時代、舟渡や志村坂下地区が海底だった時代、小豆沢舟渡山に舟を繋いでいた。
ここは七々子﨑と呼ばれた船着場で、現在の武蔵浦和方面と交易をしていたのだが、目印がないため方向を間違うことが多かったので、七々子﨑には赤旗を掲げて目標とし、武蔵浦和方面では白旗を目印にした。
従って、白山と白幡は時代背景(文明が始まった時代)も由緒もまるで違う(爆)
目印と信仰が同じはずがない。
その証拠に江戸時代は「足立郡岸村」という地名であり白旗地方だ。
※蓮根橋

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小名十蓮字にある戸建併設の大槻大明神(元白山神社)
小林家と野口家の間にある。
マッポン総監屋みたいな連中は「どうして白山神社と言い切れるの?」と言うだろう。
菊池山哉の本文に何て書かれている?
「神体は鏡」とある!

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次に、マッポン総監屋兼IT屋の彼に説教するよ。
①自らの手を汚さず、他人の情報をもとに現地訪問して動画撮影しながら、部落でヒヤリングして嗅ぎ回る奴。
さもテメェが調べ上げた手柄のように世間にPR吹聴しているエセ部落専門売名屋(地名総監屋)。
解同との対立を金儲けのエサにしているだけだ。
解同と君のどこが違うの?
オレには同類に見える。
②上記①を師と仰ぐマタリなんちゃらという脳なしコテ垢
このような人々は白山神社跡地が特定できないと、どうやら曲輪認定しないようだが、この地区で重要なのは白山神社じゃねぇよ!
重要なのは野口家の墓地だよ。

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野口(蔦紋-丸に蔦/酢漿草紋-丸に剣方喰)
橋本・菊地(鷹の羽紋-丸に違い鷹の羽)
北田(木瓜紋-丸に平四つ目)
岸(酢漿草紋-丸に剣方喰)
池田(蝶紋-丸に揚羽蝶)…家紋が清水ヶ丘と同じ
久保田(矢紋-並び矢)
伊奈(巴紋-左二つ巴)
野口・相野家墓及び四方田(家紋なし)

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墓と入植者を確認すると
土着:野口
入植婚姻:水野(野口)・相野(野口)、鹿室出身と思われる橋本(ただし橋本姓は埼玉県のいろんな地区にある)、小泉(前野谷又は鹿室)、いろんな地区にある小林、池田(清水ヶ丘)
墓があるのにこの地にいないのは岸・北田・伊奈・四方田・久保田。
武蔵浦和周辺、例えば、川口市、蕨市、戸田市、朝霞市、志木市、新座市、三芳町の秘境地区の出身の可能性がある。
それと、菊地は”池”じゃないから熊谷っぽい。
きちんと仮説を立てて自分の手を汚して調べてみろよ(呆)
埼玉に行ってみろよ。
既に白山はなく、集会所(隣保館)がメインの地区が多いんだよ。


『鈴木家文書』浅草弾役所 中仙道警備令廻状回覧
西ケ原村→箕田村→加納村→桶川村→白幡村→赤塚村

1神明坂


新編武蔵風土記稿~足立郡岸村
十蓮字 南の方を云、穢多数軒住せり

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