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【地域史】中森明菜のルーツから長吏曲輪4か所を辿る~豊島郡下練馬村字谷戸・新座郡館村字久保・同郡北野村字かわや前・多磨郡清戸下宿村字陣屋 ★2023/10/9(月)6:18 2023/10/09

数奇な人生を辿る


セカンド・ラブ/中森明菜


近藤真彦と破断した理由は「練馬出身」
所謂、部落出身者という報道がなされている(『噂の眞相』1991年6月版と記憶している)。

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豊島郡下練馬村字谷戸にある白山神社正面の戸建ての中に中森姓の家が連なって2戸あった(2005年9月撮影)。
63中森

64中森


白山神社石鳥居願主:杉本惣兵衛
4-2願主杉本惣兵衛


中森は下練馬村の土着(退転した杉本と寺崎、杉本から変化した谷本、勝本、西本)ではない。
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※改めて練馬をチェックすると、やたらと小泉姓が多い。
埼玉県入植は多いが、岩槻鹿室からこれだけ入植するとは思えない。
前野町3丁目字前野谷の可能性が高い(画像は前野谷白山跡)

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話題を横道に逸らしてしまったので戻す。


以下①~③は『鈴木家文書』より転載したものだが、オレはこれを見て「館村の地区ってどこだろう」とずっと思っていた。


①第一巻ま44・45~「天保十一年二月 廻状順覚達願書」
前野口御写
赤塚村→館村→川崎村→安生老村→入間村→女影村→柏原村→長瀬村→石坂村→中小坂村→小堤村→広谷村→高坂元宿→引野村→松山村→和名村→岡村→和田村→成沢村→小前田村→飯塚村→寄井村→大野原村→大宮宿(秩父)→小鹿野村
合廿六カ村ニ御座侯


②『寛政元年五月廻状順覚』弾左衛門より各小頭への書状の廻り順
府里谷村 源右ェ門→野口村 曽右ェ門→舘村 与五右エ門→練馬村 惣兵衛


③「囚人送触達書」より児玉から江戸への囚人護送ルート
川輪村→岡部村(昼喰)→三ケ尻村→成沢村(泊り)→和田村→和名村(昼喰)→石戸村→畔吉村→並木村之内牛飼村(泊り)→八王子村之内馬橋→館村→赤塚村(昼喰)→練馬村


館村の地区特定は『埼玉県部落解放史』と中森姓が沢山出てきた『志木市ゼンリンマップ』だ。
久保共励館(志木市幸町久保4-12-7)
戦前、埼玉県に集会所(隣保館)制度が創設される以前より存在。
平成三年、再建。

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2006年1月訪問
中森明菜のルーツはここにある。
現地で確認した話では、幼稚園開園者の直系という。

8志木なかもり保育園①


白衣観音堂(志木市幸町久保4-8-1白山神社跡)
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中森榮吉が密儀宗教である白衣観音に狂ってしまい白山を捨てたという。
8-2榮嶽霊神①


榮嶽霊神 白衣観世音開祖 中森榮吉
8-3榮嶽霊神③


榮嶽霊神、熊野神社、金比羅大神、浅間大神、不動明王があるが、白山の刻印のある碑は何一つない。
別の部落地とのつながりがわかる重要な碑文を拾って行く


燈籠:天長地久
世話人 清水平造・中森宮吉・谷岡茂十・清水清造・谷岡新次・山中金五郎・清水末松・中森金太郎・中森角造・谷岡彦次郎・谷岡福次・清水周造
下宿 小林音吉・小林定吉
燈守相続 中森長造
同守同人 中森觀造

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下宿は清瀬だ。
2-3①


更に重要なのは不動明王の水鉢奉納者一覧だ。
①當所
中森常吉・小林喜三・中森金太郎・小林定五郎・山中金五郎・谷岡茂十・仝 彦次郎・仝 福次・仝 新次・仝 彦七・小林庄造・仝 音吉・中森廉次郎・清水竹松・金子甚兵衛・中森角造・清水平造・中森庄二郎・清水嵜吉・松岡倉吉・小林大吉・仝 長命・仝 長三郎・谷岡彦次
②八軒 若宮常吉・山嵜ハナ・高野藤太郎・清水清造・仝 業平・仝 周造・仝 末松

12水鉢②


敢えて「八軒」だけプロットした。
志木市幸町は新座市北野と隣接している境界地区だ。

12水鉢⑥


風土記を読めばわかるように、北野村は「八軒」と呼ばれていた。
北野3丁目に若宮(退転)、山崎(退転)、清水、高野の曲輪がある。
小名かわや前
要するに、新座郡館村久保と北野村かわや前2村連続する部落だ。


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なお、新座市大和田に「ハ軒」という小字がある。
ここは違う。
高野も清水も若宮も山崎もいないのに、神奈川県人権啓発センター(鳥取ループこと宮部龍彦)が検証ミスをしていた。
自らITを事業化して、マッポンを運営しているのに、地区の苗字分布さえ調べずに新座市大和田が部落と宣う厚顔無恥ぶりに呆れるばかり。
その上、彼は大和田に白山神社があったと得体の知れない嘘まで吹聴している。
リンク見て笑ってやってくれ。
自分で調べもせず、偉そうに上から目線で「根拠は?」と他人に嗅ぎ回り、他人から得た情報を、あたかも自分が調べたかの如き顔をして。
現地に訪問し、動画回して原住民ヒアリングして金稼ぎして、売名して専門家ぶってるだけだから、お粗末な結果(検証)しか残せないんだよね。


参考までに、白衣観音堂で拾ったその他の碑文を明記しておく
①奉納 浅間大神 富士登山記念
②中森長蔵氏之碑 陸軍歩兵上等兵勲八等中森長蔵氏
③熊野神社
千社杵詣四思■謝■立 熊野社 伊弉諾命 伊弉冊命
當所 清水竹松
下宿 小林清五郎 同 小林音吉 
願主 中森照久
④日露戦没記念
⑤金比羅大神
⑥施無畏 白衣観音堂菩薩開祖記念碑 観音講
⑦永代常夜燈 本尊白衣観音菩薩 久保白衣観音堂 創立明治十六年十一月十六日

11不動明王①


共同墓地(志木市幸町久保4-4-48)
中森(藤紋-下り藤/桔梗紋-丸に桔梗/鷹の羽紋-丸に違い鷹の羽/木瓜紋-丸に平四つ目)
清水(柏紋-丸に三つ柏/蔦紋-丸に蔦)
谷岡(柏紋-丸に陰蔓柏/藤紋-下り藤/蔦紋-丸に蔦)
小林・松岡(柏紋-丸に陰蔓柏)
野口(家紋なし)…十蓮寺(武蔵浦和の白幡村)
※館村の土着は中森・清水・谷岡・松岡、入植婚姻は小林(清戸下宿村陣屋)・山中(四谷茶筅村)
北野村の土着は若宮(退転)・清水・山崎(退転)・高野

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残すは清戸下宿村字陣屋(2004年11月、2005年3月と12月訪問)
天正年間に創建された白山神社(清瀬市下宿字陣屋3-1329)
○志木街道筋。多磨・入間・新座三郡入会の地にて、入間郡とは柳瀬川を郡界とし、志木街道は下宿を通過し、新座郡大和田町、舘村へと通ずる。清戸道は練馬を経由し、清戸村で、北は志木街道へ、南は府中街道へと分岐する。清戸村は永禄七年の北条氏の清戸番衆交代命令状をみても、清戸下宿に番所があって、城の防御と密接な関係があったと推定されている。
○白山神。天正年中の創始と云い、豊臣秀吉の小田原城攻めの際に落城した、北條氏照の出城である滝城の武具製造を担っていたと云。
○民戸六軒、いずれも小林を姓とする。近く新座郡舘村の部落との繋がりは深い。

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小林一族墓地(清瀬市下宿字陣屋3-1326)
藤紋-上がり藤/木瓜紋-丸に平四つ目

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曹洞宗醫王山東光寺(所沢市坂之下383)
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城山神社(所沢市城23-1)
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滝の城址公園(所沢市城537)
滝城は、八王子城主だった北條氏照の出城で、城主は太田下野守である。 北関東方面を守る重要な拠点であったが、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原城攻撃の時に、大宮方面から進撃してきた浅野長政によって落城させられてしまった。

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『清瀬市史』
○第4章中世 第2節中世の開発 P211
下宿の白山神社も神社書上帳に天正年中の創立をうたっており、祭神を伊邪那岐命としている。白山信仰についてはさまざまにいわれているが、まだ定説はない。滝城の武具製造などに関連の社ではあるまいか。
○第5章近世 第8節神社
清戸下宿 伊邪那岐命 崇敬者 六名 創立年代 天正年中(伝)

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新編武蔵風土記稿~清戸下宿村
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