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古道「椎名町道」3.3kmの旅③(”兵隊みち”や”鎌倉街道中道”との重複路線・旧川越街道下頭橋通りとの合流) 2019/02/18

豊島区と板橋区の南北の境界となっている「さいわい通り」(交差点の左右に走る道)。
ここから千川上水の”かち橋”までの区間は別称「兵隊みち」と呼ばていた。
椎名町道との重複路線である。
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「兵隊みち」を北上
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途中、現代版の道標(画像右)がある。
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道標には東西南北が表記され、天井には「大山方面」(東)と「千川方面」(西)がわかるようにされている。
なぜこのような道標が建てられたのだろうか。
セットバック部分でないことは明らかだが、道標が私道に建てられているのか、公道に建てられているのか、それさえ定かではない。
追って板橋区又は地元の人に確認してみたい。
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更に北進すると、暗渠した千川上水(左右に走る道)に達する。
暗渠する前には「かち橋」という橋が架かっていた。
この辺は兵隊の訓練に使われていたようで、兵隊がかち橋で大砲を落としたことから「兵隊みち」と呼ばれるようになったそうだ。
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別アングル。
左斜めの道が椎名町道(北側)、右斜めに走る片側1車線の道が暗渠した千川上水。
ちょうどかち橋から千川を撮影したような画像である。
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上記画像の反対を撮影。
左が椎名町道(南側)、右が暗渠した千川上水。
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北側からかち橋を撮影(正面が椎名町道の南側、左右が暗渠した千川上水)。
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かち橋付近には千川上水の案内板が設置されている。
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更に椎名町道(兵隊みち)を北進し、都道420号へ向かう。
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兵隊みちの終点。
ここで椎名町道は都道420号で分断されてしまう。
対向に見える車両進入禁止の表示された細い道が「鎌倉街道中道」である。
これもまた椎名町道との重複路線だ。
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鎌倉街道中道を北進する。
東京朝鮮第三初等学校の東側を走る。
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鎌倉街道中道は日大病院通りに分断されてしまう。
正面の細い道が鎌倉街道中道=椎名町道である。
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上記画像の反対から撮影。
左が鎌倉街道中道(かち橋方面)、右が日大病院通り。
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川越街道に向けて鎌倉街道中道を北進していく。
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川越街道との交差点(日大病院入口交差点)から椎名町道終点を撮影。
右が椎名町道(鎌倉街道中道)、左が日大病院通りである。
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日大病院入口交差点は六差路になっている。
画像左右は国道254(川越街道)、レンタカー屋の前を走る左向こうの道は下頭橋通り(旧川越街道)、正面右の直進が鎌倉街道中道である。
椎名町道を利用した庶民は、ここから川越街道を経由し中山道板橋宿に出た。
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【参考リンク】

板橋宿本陣・板橋・板橋大木戸と火の見櫓・縁切榎(板橋宿上宿・仲宿)

妙法寺参詣道(堀之内道)から鍋屋横丁”お題目石”(鎌倉街道)・鍋屋横丁交差点(青梅街道と鎌倉街道)へ

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