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【画像と史料ですっきりわかる目黒1丁目界隈の郷土史】第2章 肥前国島原藩主松平主殿頭千代ヶ崎抱屋敷Ⅲ~元千代ヶ崎抱屋敷から発見された大鳥神社・別当大聖院所蔵「切支丹灯籠」(”隠れキリシタン”松平主殿頭) 2019/05/19

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《資料》【上空地図】松平主殿頭千代ヶ崎・傳道抱屋敷の領域と目黒1丁目を通過した三田用水の軌跡

松平主殿頭上空地図
チェックイン:マンション目黒苑(約27年間暮らした場所)
赤枠:松平主殿頭千代ヶ崎・傳道2抱屋敷
黄線:三田用水本線
水線:江戸時代の三田用水本線と白金分水路長者丸方面
白枠:千代ヶ池
黄緑●:三田用水銭瓶窪口
黄緑線:白金分水路
金点線:現地確認した暗渠
橙枠:旧久米邦武邸
緑枠:旧三条実美邸(正確な範囲不明)
黄▲:三田用水普通水利組合事務所
※千代ヶ崎抱屋敷の中を通過した三田用水は3つにバイパスし、目黒1丁目エリアを潤した。
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【第2章】肥前国島原藩主松平主殿頭千代ヶ崎抱屋敷

6.切支丹灯籠

①大鳥神社所蔵「切支丹灯籠」
大鳥神社(目黒区下目黒3-1-2)
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以下、大鳥神社所蔵キリシタン灯籠の説明書を転載する。
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切支丹灯籠
下目黒の大鳥神社所蔵で、昭和38年、守屋図書館に開設された郷土資料室に出品公開されて以来、中庭で展示していたものです。
もとは千代が崎(現在の東京都教職員研修センター付近)の大村邸内にあり、かつてこの地にあった肥前国島原藩主松平主殿頭の下屋敷にまつられ、密かに信仰されていたものと伝えられています。
竿石の下部に刻まれた像には足の表現がなく、イエス像を仏像形式に偽装した珍しい型の切支丹灯籠で、キリシタンへの弾圧と迫害が厳しくなった寛永・正保・慶安の頃から江戸中期にかけて作られたものと考えられます。
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※「下屋敷」は間違いであり「抱屋敷」が正しい。下屋敷は幕府拝領、抱屋敷は自腹で購入した領地であり年貢などの対象である。性質が全く違うのだ。
なお、千代ヶ崎抱屋敷は遊興に使用したことから、用途は下屋敷であったと推定されている。
※「東京都教職員研修センター」は、現在「警視庁目黒合同庁舎」となっている。かつて千代ヶ池のあった目黒台マンションの坂上に隣接している。
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警視庁目黒合同庁舎(目黒区目黒1-1-14)
東京都教職員研修センターの前進であった都立研究所時代、小学校の社会科見学で建物に入りプラネタリウムを見たことを懐かしく思う。
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案内板の説明から、キリシタン灯籠が発見されたのは、かつて千代ヶ崎抱屋敷内の別荘「絶景観」や千代ヶ池周辺と考えられる。
なお、松平主殿家が最初に肥前国島原藩に転封されたのは1668年であり、千代ヶ崎の土地を購入したのは1672年である。
従って、「島原の乱(1637~38)」を含む「寛永・正保・慶安(1624~52)」の時代には、松平主殿家と島原の接点はなかった。
千代ヶ池周辺で見つかったキリシタン灯籠がこの頃の作品であるなら、既製の灯籠を調達したと考えるのが妥当だろう。
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②大聖院所蔵「切支丹灯籠」
大鳥神社別当寺大聖院(目黒区下目黒3-1-3)
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大鳥神社別当寺の大聖院も、松平主殿頭千代ヶ崎抱屋敷で発見されたキリシタン灯籠を所蔵している。
その案内板には次のように説明されている。
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切支丹灯籠
この3基の灯籠は、切支丹灯籠とか織部式灯籠と呼ばれています。もと、三田千代が崎の旧島原藩主松平主殿頭の下屋敷(後の大村伯邸)林泉中の小祠内にありましたが、大正15年10月大聖院に移したものです。
中央のもっとも高い1基の棹石には変形T字クルスとキリスト像とおもわれる形状が、また左右面に、漢詩が刻まれています。
この灯籠は徳川幕府の弾圧を受けた隠れ切支丹が庭園の祠等に礼拝物として秘そかに置かれていたものだと言われています。
歴史的に文化的価値が高く、全国的にも数少ない灯籠です。
平成4年3月 目黒区教育委員会
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※「下屋敷」と説明されているが、大鳥神社所蔵同様ではなく「抱屋敷」である。
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===参考資料===
google Earth

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