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【画像と史料ですっきりわかる目黒1丁目界隈の郷土史】第3章 目黒1丁目を通過した三田用水暗渠地帯Ⅴ~松平主殿頭千代ヶ崎抱屋敷を通過し3分岐して目黒1丁目に注いだ三田用水の流路③(マンション西目黒苑のグリーンベルトから進入する経路) 2019/05/20

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《資料》【上空地図】松平主殿頭千代ヶ崎・傳道抱屋敷の領域と目黒1丁目を通過した三田用水の軌跡

松平主殿頭上空地図
チェックイン:マンション目黒苑(約27年間暮らした場所)
赤枠:松平主殿頭千代ヶ崎・傳道2抱屋敷
黄線:三田用水本線
水線:江戸時代の三田用水本線と白金分水路長者丸方面
白枠:千代ヶ池
黄緑●:三田用水銭瓶窪口
黄緑線:白金分水路
金点線:現地確認した暗渠
橙枠:旧久米邦武邸
緑枠:旧三条実美邸(正確な範囲不明)
黄▲:三田用水普通水利組合事務所
※千代ヶ崎抱屋敷の中を通過した三田用水は3つにバイパスし、目黒1丁目エリアを潤した。
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【第3章】目黒1丁目を通過した三田用水暗渠地帯

2.目黒1丁目の三田用水

⑧千代ヶ崎抱屋敷を通過した三田用水のバイパスその3(目黒1-9-6マンション西目黒苑 対向1-5-1)
マンション西目黒苑。
幼少期からの友人が住んでいる。
三田用水は向こうから流れてきて左折する
20190504_100227
当初、坂道が暗渠と勘違いした。
道路部分を動画撮影中、マンションのガーデニング(グリーンベルト)に違和感を覚えた。
「まさか、このグリーンベルトの下かよ!」
見落とすところだった!(汗)
昔から三田用水の暗渠なんて考えついたこともない!
このポスト、よく使ったなあ。
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暗渠はグリーンベルト沿いに直進するルートと、直ぐに左折するルート(目黒日大方面)に枝分かれする。

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左折して目黒1-5-36と1-8-1の間の暗渠へ。
この周辺は昔から湿地帯のようなエリアで、住みやすい場所ではない。
20190504_100716
当時、この家の付近から湧水が出ていたと記憶している。
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右折する。
写真は右折後、真っ直ぐ目黒方面に向かう暗渠道を高台、地元の友人(ホテル東横の御曹司)の家の前から撮影。
道の左手はバブル期までは砂利でしめた空き地だった。
20190504_100045
降りて直進。
目黒1-6-26付近
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交差点に出る
暗渠は右手の道(目黒1-23-6と1-23-7の間の右手)に進む。
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道路を渡り、目黒川沿いの暗渠へ。
目黒1-24-9と1-24-12(オリックス目黒ビル)の間。
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マンション西目黒苑のグリーンベルトに戻る。
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グリーンベルトを直進し、目黒東児童遊園(目黒1-9-15)の手前。
三田用水の暗渠の蓋は古いまま、敷地の前面にあるため、地権者の占有地になっているようだ。
木製の板材を使っている。
朽ちた板の下は下水道の用に供しているのだろうか。
※敷地の前面が道路と接しておらず、水路になっているケースは、原則として建築基準法違反となる。回避する方法は、役所から占有許可を得る方法、敷地から代替地を割譲し水路と交換する方法、基準を満たした橋を作って敷地と道路の間に架ける方法などがある。
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暗渠は目黒東児童遊園のグリーンベルトに繋がる。
子供の頃、靴飛ばしや庭球をして遊んだとても懐かしい公園。
まさか、公園の敷居の下に暗渠しているとは。
なお、児童遊園の対向にある目黒保育園(写真左手)もまた広大な空き地だった。
地権者が田んぼを砂利でしめて放置していたのでしょうか?(立入禁止エリアだった)
都営住宅の一角から移転した?
何れにせよ、バブル以後に建物が作られたと記憶している。
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暗渠は目黒1-22-3と1-23-1の間の道に直進する。
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直進して児童遊園側(反対から)を撮影。
目黒1-22-7と1-23-15の間
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道路を渡り、暗渠は目黒川沿いの建物の間を通過。
目黒1-24-6と1-24-9(タワーマンション)の間。
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最後に、大正8年に日の出女子学園(目黒日大)が移転してくる前、学園の敷地の中を通過した三田用水が道路を渡り、目黒川沿いの建物の間を暗渠している場所は立入禁止となっているようだ。
オリックス目黒ビルと目黒新橋マンション(目黒1-24-19)の間。
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===参考資料===
google Earth

===バックナンバーリスト===
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